実際は、この喫茶店の例のように、1人の人間が出資者であり従業員であることも可能である。
また、取引先に気に入られて引き抜かれることもあるし、取引先が系列企業ということもある。
生身の人間の関係は、出資者、従業員、取引先というようには割り切れない。
日本では、80年代末まで、サラリーマンという一種類の人間しかいなかった。
資本主義の勃興期のコーポレート・ガバナンスは単純であった。
極めて富裕な資本家と劣悪な条件で酷使される労働者の2極構造である。
労働者は生存に必要な最低限の取り分しか与えられず、企業活動から得られる富は資本家に集中した。
そこでのコーポレート・ガバナンスは、K・Mが言ったように、資本家対労働者の階級間闘争であった。
従業員を大切にする日本的経営、株主を大切にするアメリカ的経営という単純な区別は、歴史を無視した暴論である。
ヨーロッパでも、アメリカでも、日本でも、資本主義の勃興期には、ごく少数の資本家に富が集中し、多くの労働者が悲惨な生活を強いられた。
日本でも、高度成長が始まるころまでは、炭鉱などを中心に激しい労働運動が繰り広げられたのである。
Mが打ちたてた資本家対労働者という図式は、当時のコーポレート・ガバナンスの実状を的確に表していた。
だからこそ、あれほど広く流布し、大きな影響力を持った。
あまりに大きな影響力を発揮したので、現在でも、無意識のうちに、そういう資本家対労働者の図式でコーポレート・ガバナンスを把握している人が多い。
実際は、現在のコーポレート・ガポレート・ガバナンスが問題にならなかったのである。
現在でも、日本経済の動向を左右するような大企業の多くは、サラリーマンによって経営されている。
社長、会長と言っても、元は新卒のこう社員だ。
会社の株は多少は持っているが、収入源として当てにはしていない。
彼らが会社から得ようとしている取り分は、サラリーマンと同じバナンスは、Mの時代ほど単純ではない。
Mの図式に無理やり現実を当てはめるから、資本家重視のアメリカ的経営、労働者重視の日本的経営という誤った認識が生まれる。
日本では、敗戦後、財閥解体によってMの図式に当てはまるような資本家はいなくなった。
旧財閥を単位とした企業グループは形成されたが、株式はグループ企業同士で持ち合った。
グループ内で格の高い会社、低い会社の差はあったが、かつての財閥本社のようなグループ企業の株の大半を保有する会社は消滅した。
まして、グループ企業の活動全般に指導力を発揮して、そこから利益を吸い上げる特定の個人株主など、いるわけがない。
似顔絵 ウェルカムボードは限られた文字数の中で、似顔絵 ウェルカムボードの伝えたいことを的確に表現するための重要なポイントについて、考えてみましょう。